中国針灸「精誠堂(せいせいどう)」【千歳烏山 本院】東京都世田谷区南烏山5-9-2 【飯田橋針灸マッサージ治療院】東京都千代田区富士見2-2-3 ドーム飯田橋1F
今回は少し毛色の違うお話しです。
最近、「EBM」の考え方を紹介するために「疫学」を専門とする医師が書いた書物を読みました(康永秀生・著/NHK出版新書『すべての医療は「不確実」である』)。
「EBM」についてはまた次回触れるとして、この書物の中に、山本周五郎の「赤ひげ診療譚」に出て来る次のような一場面が紹介されていました(孫引きで申し訳ありません)。
山本周五郎作の「赤ひげ診療譚」に「大機里爾」に関する挿話がある。東京・小石川の養生所の医師である「赤ひげ」こと新出去定(にいできょじょう)と、その弟子である保本登(やすもとのぼる)の、末期の膵がん(膵臓がん)患者の診察に際してのやり取りである。
「これは大機里爾(ダイキリイル)、つまり膵臓に初発した癌腫だ」と去定が云った。
「(略)癌が発生しても痛みを感じない、痛みによってそれとわかるころには、多く他の臓器に癌がひろがっているものだし、したがって消耗が激しくて死の転帰をとることも早い(略)」
「すると治療法はないのですね」
「ない」と去定は嘲笑するように首を振った、「この病気に限らず、あらゆる病気に対して治療法などはない」
登はゆっくり去定を見た。
「医術がもっと進めば変わってくるかもしれない、だがそれでも、その個躰のもっている生命力を凌ぐことはできないだろう」と去定は云った。「医術などといってもなさけないものだ、長い年月やっていればいるほど、医術がなさけないものだということを感ずるばかりだ、病気が起こると、或る個躰はそれを克服し、べつの個躰は負けて倒れる、医者はその症状と経過を認めることができるし、生命力の強い個躰には多少の助力をすることもできる、だが、それだけのことだ、医術にはそれ以上の能力はありゃあしない」
(※下線・太文字はコラム筆者)
(康永秀生・著/NHK出版新書『すべての医療は「不確実」である』)
この一節の引用は、私に色々と考えるきっかけを与えてくれました。
やりとりの中で"赤ひげ"こと新出去定が「医術がもっと進めば変わってくるかもしれない」と言っている通り、現代の医学では癌の早期発見の方法も治療法も進歩し、「痛みによってそれとわかるころには、(中略)消耗が激しくて死の転帰をとることも早い」ということも昔に比べればずっと少なくなっているはずです。
しかし、ここで引用されているこの一節のポイントは"そこ"にあるのではなく、"赤ひげ"が「この病気に限らず、あらゆる病気に対して治療法などはない」と言い、「だが、それだけのことだ、医術にはそれ以上の能力はありゃあしない」と言い切っているところでしょう。
この本ではまた「医学の父」、或いは「医聖」とも呼ばれるヒポクラテスのことも取り上げて次にように言っています。
はるか昔のヒポクラテスの治療法は、食事を適切にし、睡眠をよくとり、規則正しい運動を行うという、現在にも通じる基本的な内容であった。もちろん古代の医療と現代医療の内容は比較にならない。しかしヒポクラテスは、患者をよく観察し、健康と病気を自然の現象として観察した。それは現代の臨床疫学にもなお通じる手法である。ヒポクラテス以来の流れの中に、現代の医学も位置づけられるのである。
(※下線・太文字はコラム筆者)
(康永秀生・著/NHK出版新書『すべての医療は「不確実」である』)
ここに言われているヒポクラテスの治療法などは、まさに所謂「養生」そのものではありませんか?
そして"赤ひげ"が言う、"個体の生命力"を維持し高める基本的な方法でもあります。
また「健康と病気を"自然の現象"」として「患者をよく観察する」という点においては、"洋の東・西"を問わず、"医療"としてその根本は同じであることが良く分かります。
私も患者さんを診ていて思うことがありますが、"健康維持"や"予防"、そして"治療"において最も大切なことは、患者さん自身が治癒力・生命力を上げるべく、もしくは抵抗力・回復力を落とさないように、基本的な生活を正し、「養生」をすることではないでしょうか。
そして私たち施術家が出来ることは「生命力の強い個躰には多少の助力をすることもできる」ということです。
もちろん、施術に携わる者は誰しも、"何とかしてあげたい"と思う気持ちがあり、今まで治せなかったものも治せるように、目の前の症状を何とか出来るように、と努力もします。しかし「だが、それだけのことだ」ということです。
これは何も自らの施術を"卑下"している訳でも、"諦めている"訳でもなく、また"患者さんに責任を押し付けている"のでもありません。
(施術に携わる者が自らの知識と技術の向上を目指して不断の努力することは、"あえて言うまでもない"当然のことです)
ここで学ぶべきことは、"患者さん"や"病気・健康"といったもの、そして"自然(の現象)"と向き合う者としての"謙虚さ"を忘れてはならないということなのだ、と感じたのでした。
私たちはどうしても"自らの施術"が「効いた」、「効かない」、"自分が"患者さんを「治した」、「治せなかった」といったことにばかり終始してしまいがちで、人様の健康や施術に携わる者としての基本的なことを見失いがちなのかも知れません。
施術者としてそんなことを反省させられながら、この反省文(?)が、患者さんが自らの健康を守り、ご自身にとってより良い施術、方法を選択する際のひとつの参考になれば、とも思います。
賀偉総院長が施術を行う本格中国針灸の専門治療院
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針灸、マッサージ、中国整体を併設